清水健太の清水健太による清水健太のための日記
category:本日の駄文
今日は最終日です。
朝は清掃活動ということで
寒い中,軍手をしてゴミ拾いをしました。
被災地だからなのかなんなのかよくわかりませんが
それなりの量がありましたね。
そのあとはお寺の住職さんの話を聞きました。
大変に長かったですね。
生の声は貴重ではあるのですが。
早くしないと新幹線に乗り遅れるだろうが
という不安が皆にあったと思います。
なんとか間に合いまして被災地を後にしました。
来るときも壊滅した町を見てなんとも言えない気になりましたが
これが現状かなと。
金をばらまけば元通り以上の町になると思いますが
人口がそれほどでないのがネックだなぁと。
海の町とは言っても新潟のようになれば栄えるのになと思いました。
お寺でお茶を飲んだために
帰りのバスは尿意との戦いになりました。
陸前高田から一ノ関までは二時間くらいかかるので
手に汗握る移動となりました。
ムーニーマンにならずに済んで良かったと思います。
帰りは大宮で降りたかったのですが
叶わずに東京からUターンすることに。
磯部に着くまでに一時間差が出てしまうんですけどね…。
でもまぁ思ったよりも疲れていないのでいいかなと。
これで頭が痛いですとなったら地獄ですからね。
今回の被災地見学の総括としては
夜の会話が楽しかったのはいうまでもありませんが
町が被災によってゼロではなくマイナススタートになるという現状を見て
一年前に大変なことが起こったんだなとあらためて痛感しました。
働く車の量が半端ではありませんでした。
そしてユンボのスケールも
地方工務店のレベルを越える大きさでしたね。
家はどうするんだろうという前に
都市計画はどうなるのかというところから
復興は始まるなと思いました。
ガレキの処理は全く先の見えない状況でした。
非常に大量にあるという現状をみると
全国で手分けするしかないと思いました。
福島は放射能との戦い,岩手はガレキや都市計画との戦いが
行われていると思いました。
人間はどうなのかといえば被災者として生きてはいますが
一人間であることに我々と差はないなと思いました。
しかし我が家が万が一,一夜にして無くなってしまい
生活用品が消失したらそれこそ僕は失神するだろうなと。
経済活動をする動物である人間が財産や資産を失うということは
耐えがたき喪失感だと思います。
生きていればいいじゃないかと言われますが
資産がなくなることも僕は死に繋がるくらいのショックだと思います。
まず仕事を見つけることができればいいかなと思いました。
そして見つけた仕事をがむしゃらになって行い
収入を得るようになることが人としての生活の復興だと思います。
働ける年代の話ですが…。
今回な被災地見学で思った最大の事は「体感せよ」ということです。
津波や放射能の被害は誰でも知っています。
しかし生の現状がどうなっているのかということは
その地に足を入れてみなければわかりません。
陸前高田市は思ったよりも田舎でしたね。
田舎だからこそ復興も遅れると思います。
人のパワーが少ない上に町を捨てて都会に出ていくといった
人口流出が続いているそうですので。
まぁ僕も磯部が壊滅しました。となったら高崎に家を作ると思いますからね。
特筆,安中でなければならないという理由はありませんので。
復興という意味を言えば全く進んでいないというのが僕の持った印象です。
しかし被災者を見たり話を聞いたりすると
人間の力というものを感じることができました。
合理的に進めるだけではダメなのだということも感じました。
人間味なんてバカらしいと思っていた僕がバカらしいなと。
最後はそこに住む人間がどうなるかということですからね。
復興を手伝っているのは派遣されたボランティアや作業員ですが
すべき対象者はその地に住んでいる人たちです。
その地の人々がやる気なくしたらおしまいですが
「また家を建てるのが目標」「商売や漁業を再開したい」と言った声が
聞かれるということは復興に向けて被災者は動き始めているんだなと。
感想を多く持つ三日間になったと思います。
明日は対策講座があるので大学へ。
サボりたいという思いと
お金がもったいないという思いの狭間で揺れております。
なんだかんだ言って行きますけどね。
お金がもったいないので。
それではおやすみなさい。
朝は清掃活動ということで
寒い中,軍手をしてゴミ拾いをしました。
被災地だからなのかなんなのかよくわかりませんが
それなりの量がありましたね。
そのあとはお寺の住職さんの話を聞きました。
大変に長かったですね。
生の声は貴重ではあるのですが。
早くしないと新幹線に乗り遅れるだろうが
という不安が皆にあったと思います。
なんとか間に合いまして被災地を後にしました。
来るときも壊滅した町を見てなんとも言えない気になりましたが
これが現状かなと。
金をばらまけば元通り以上の町になると思いますが
人口がそれほどでないのがネックだなぁと。
海の町とは言っても新潟のようになれば栄えるのになと思いました。
お寺でお茶を飲んだために
帰りのバスは尿意との戦いになりました。
陸前高田から一ノ関までは二時間くらいかかるので
手に汗握る移動となりました。
ムーニーマンにならずに済んで良かったと思います。
帰りは大宮で降りたかったのですが
叶わずに東京からUターンすることに。
磯部に着くまでに一時間差が出てしまうんですけどね…。
でもまぁ思ったよりも疲れていないのでいいかなと。
これで頭が痛いですとなったら地獄ですからね。
今回の被災地見学の総括としては
夜の会話が楽しかったのはいうまでもありませんが
町が被災によってゼロではなくマイナススタートになるという現状を見て
一年前に大変なことが起こったんだなとあらためて痛感しました。
働く車の量が半端ではありませんでした。
そしてユンボのスケールも
地方工務店のレベルを越える大きさでしたね。
家はどうするんだろうという前に
都市計画はどうなるのかというところから
復興は始まるなと思いました。
ガレキの処理は全く先の見えない状況でした。
非常に大量にあるという現状をみると
全国で手分けするしかないと思いました。
福島は放射能との戦い,岩手はガレキや都市計画との戦いが
行われていると思いました。
人間はどうなのかといえば被災者として生きてはいますが
一人間であることに我々と差はないなと思いました。
しかし我が家が万が一,一夜にして無くなってしまい
生活用品が消失したらそれこそ僕は失神するだろうなと。
経済活動をする動物である人間が財産や資産を失うということは
耐えがたき喪失感だと思います。
生きていればいいじゃないかと言われますが
資産がなくなることも僕は死に繋がるくらいのショックだと思います。
まず仕事を見つけることができればいいかなと思いました。
そして見つけた仕事をがむしゃらになって行い
収入を得るようになることが人としての生活の復興だと思います。
働ける年代の話ですが…。
今回な被災地見学で思った最大の事は「体感せよ」ということです。
津波や放射能の被害は誰でも知っています。
しかし生の現状がどうなっているのかということは
その地に足を入れてみなければわかりません。
陸前高田市は思ったよりも田舎でしたね。
田舎だからこそ復興も遅れると思います。
人のパワーが少ない上に町を捨てて都会に出ていくといった
人口流出が続いているそうですので。
まぁ僕も磯部が壊滅しました。となったら高崎に家を作ると思いますからね。
特筆,安中でなければならないという理由はありませんので。
復興という意味を言えば全く進んでいないというのが僕の持った印象です。
しかし被災者を見たり話を聞いたりすると
人間の力というものを感じることができました。
合理的に進めるだけではダメなのだということも感じました。
人間味なんてバカらしいと思っていた僕がバカらしいなと。
最後はそこに住む人間がどうなるかということですからね。
復興を手伝っているのは派遣されたボランティアや作業員ですが
すべき対象者はその地に住んでいる人たちです。
その地の人々がやる気なくしたらおしまいですが
「また家を建てるのが目標」「商売や漁業を再開したい」と言った声が
聞かれるということは復興に向けて被災者は動き始めているんだなと。
感想を多く持つ三日間になったと思います。
明日は対策講座があるので大学へ。
サボりたいという思いと
お金がもったいないという思いの狭間で揺れております。
なんだかんだ言って行きますけどね。
お金がもったいないので。
それではおやすみなさい。
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